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イギリス留学ー意識改革ー

今回はイギリス留学時代の話です。

英語が使える人になりたい、ということよりも英語でいろいろな国の人と話をすることが楽しくて楽しくてあっという間に過ぎた半年でした。
初日はクラス分けをするレベルチェックの試験です。
ペーパーテストでしたので、どちらかと言うと英語の知識を試す文法的な問題が多くかなりいい点数を取れ、なんと私のクラスは上から2番目、日本人は私一人でした。
クラスは10人くらいですが、皆よく話します、というよりも自分の意見をガンガン言います。
文法的には私にも間違いとわかるようなミスもありましたがお構いなしです。私はと言えば・・・
聞き取れない、話せない、さらに悪いことにディスカッションのテーマについての自分の意見や主張が明確に持てない、まさにコンプレックスの塊。
海外の文化では、気を使う、という表現がないほど人には気を使いません。私が黙っていようと、誰も気を使ってくれません、ただ自分でグイグイ食い込んでいくしかないのです。
このカルチャーショックも大きかったですが考え方によっては気が楽です。
もう恥も外聞もない、間違ったっていい、自分の意見を持って相手に伝えることが重要だ、と言い聞かせ、私の身体に染み付いていた、間違ってはいけない英語、日本語から英作文する英語、一旦日本語に訳す英語を忘れ、語順はどうでも単語を並べるだけでもいいからとにかく口から英語を出そう、と開き直りました。
ここから私の新しい英語へのチャレンジが始まったのです。
初めはかなり自分自身を叱咤激励しながら英語のコミュニケーションをしていました。
しかしそのうち自然に日本語へ一旦リンクさせる癖がなくなり、英語を英語でとらえ反応できるようになっていました。
こうなってからの英語でのコミュニケーションは楽しくて、一気に力がついた気がします。

一旦身体に染み付いてしまった習慣や体質を変えるのは、意識改革とかなりの労力が要ります。
日本語に訳さないと理解できないと思い込んでいたのは、私たちの時代に受けた英語教育の弊害かもしれません。
母国語で正確に理解することも大切な時もありますが、大方のコミュニケーションは会話で受け取った言語のままに反応することが望ましいです。
日本語なら日本語、英語なら英語です。今のAtoZの子供達ができているように、この体質は柔軟な適応力がある幼児期に身に付けてしまっておけば労力なしに身につく大きな財産です。
しかも大人になってからでは手に入りにくい財産です。実際私は多大な時間と労力と費用が必要でした。
言語の習得は、時を逃すと後で手に入れるのは大変だ、と身をもって痛感したのです。
この経験が、日本の子供たちの英語教育に対する私の信念のスタートと言えるかもしれません。(次回に続く)