イギリス留学ー英語がくれた副産物ー
2010.10.01
今回はイギリス留学編の最後になります。
イギリスで習った英語は日本の学校で習ったのものとは別物で、自分自身の英語に対する意識改革が大変だった、ということをお伝えしてきましたが、
そんな悪戦苦闘の中でも、英語でコミュニケーションができるようになってくるにつれて、それは様ざまな副産物を私にもたらしました。
国籍、宗教、考え方の違う人々と直接話をすることで、視野は地球大になって行く一方、日本人としての自覚や誇りを持ちました。
日本は誇り高く温かい心のある素晴らしい国です。
しかしながら、必ずしもその価値観が世界共通ではありません、場合によっては奇異に感じられたり、弱いと感じられる場合もあるかもしれません。
例えば、遠慮、謙遜、気を使う、などは日本の美しい文化ですが、その心を理解していない人にとっては残念ながら、弱く主体性がない日本人、と思われるかもしれません。
逆に、日本からしてみると、YES/NO をはっきり表し、自分の考えを積極的に出す外国人に対しては、自分勝手で強い人と感じるかもしれません。
それは勿論その人の性格もありますが、それぞれの民族や国が持っている文化ですから、異文化に生じたコンフリクトは受け入れ理解しながら付き合わなければいけません。
例えば、英語学校のクラスメイトでBBQパーティをした時に、イスラム教のトルコ人男性が、宗教の教えで、お肉はナイフで殺して処理する特別の方法のものしか食べられない、と言い、皆で町中のお肉屋さんを探してようやく見つけたこともありました。
日本人だったら、皆に町中の肉屋に走らせることはさせないでしょうし、自分は調理法が違っているお肉は食べられないから参加しない、または皆にそれは言わずに参加しても食べずにいる、でしょう。
しかし彼は自分の主張をし、国籍がバラバラのクラスメイトは、彼を宗教を尊重し、協力して皆で楽しむ。
もしかしたら時として日本の中では、異っている事・それを主張すること、は、
回りに迷惑がかかると思っているかもしれませんが、
世界は違うことだらけ、違うことが当然なことです。
英語で世界と話ができるようになった事で、私の身に付いた副産物は、
「世界は時(歴史)と場合(国、宗教)によって違う価値観を持っている、異質なものであってもその背後を考え理解する、受け入れる、そしてともに助け合い喜び合う。
しかし、自分の価値観や誇りを見失わない。そうでなかったら共存ではなく、迎合、付随になってしまう。」
ということです。これが今日のAtoZの理念になっています。
「世界と共存するために、豊かな心と、強い精神を育みます」
次回は“1987年AtoZ開校”です。お楽しみに。