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1987年AtoZ開講

1986年夏、日本の子供たちに英語で世界の人たちとの会話や異文化体験を楽しんで欲しい、という夢を持って日本に帰国しました。
しかしその時はまだ、どうやってその夢を実現していくのか具体的な計画がありませんでしたが、とにかく早く子供たちのために何かしたいと思い、
翌年1987年に当時やっていた学習塾の一室に英会話教室AtoZを開講しました。
講師は絶対に外国人でなければダメ、子供たちにとっては先生の存在自体が異文化体験だから、という強い思いから何とか外国人講師を採用しました。


初めてのことなので何もかもがわからないことだらけです、
英文の契約書、就労ビザ、先生の住宅、生徒集め、教材などクリアしなければならないことが山ほどありましたが、必死で飛び回り何とか開校にこぎつけました。
第1回コラムでもお話したように、子供5人大人3人の生徒さんが小さな新聞の広告を見て来て下さいました。
実績がないので就労ビザのスポンサーになれず、ワーキングホリデービザを持った若い経験のない人を採用するしかなかったのですが、
子供が大好きな初代AtoZ講師Brett先生は何も揃ってない教室でも、子供たちと歌い踊り飛び跳ねて、楽しい授業を毎時間やってくれました。子供たちも大喜びです。


1年後にはもう一人の先生が必要になるほど人気の英会話学校になりました。
まだまだ外国人でレッスンをする学校がなかったから、あっという間に話題になったのです。
まだ近隣の書店には英語の教材やテキストが何もない時代だったので、テキストは東京の紀伊国屋へ毎月のように買いに行き、教材は手作りです。


これもとても楽しかったのですが、テキストが一つ終了する度に次ぎは何をやろうかなぁ・・・といった感じで、だんだん行き詰ってきます。
開校当初の、子供たちに異文化体験と英語の会話を楽しんでほしい、という夢は毎時間のレッスンの度に実現していたのですが、
このレッスンを積み重ねていった先に子供たちにどんな能力がつくのだろう、本当に子供たちに必要な能力を効率的に付けてあげていることができているのだろうか・・・と疑問と不安が沸いてきました。
これは私だけではなく外国人の先生達も同じ気持ちになっていたのです。


開校から3年が過ぎていました。
焦る気持ちで先生たちと何回も話し合いをした結果、一貫したカリキュラム、外国人講師の研修、子供たちの明確なゴール、子供たちが今どのくらいの力がついているのかわかるシステム、が必要だと言う結論になりました。
そこで全員で日本・外国を問わず、実績のあるプログラムを必死で探し始めたのです。
次回は、いよいよPLSとの出会いです。