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イギリス留学ー日本で学んだ英語とのギャップー 

留学中、日本で学んだ英語とコミュニケーションツールとして学ぶ英語の違いに驚くばかりでした。
今回は、同じ英語でありながら、そのギャップの体験についてお話しましょう。

様々な学習方法がありましたが、印象に残っている学習がありました。

黒板の裏に英語の長い文が書いてありまして、それをパッと10秒間くらい見せます。
10秒たったところですぐにひっくり返して見えなくする。自分がどこまで読んでどのくらい大よその意味がわかったか?という学習。
残念ながら、私は実に遅かった。皆が3、4行まで読めていても私はせいぜい1行終わりか2行目・・・何故?それは、悪しき2つの習慣が私の速読スピードに相当なブレーキをかけていたのです
1つは、長年文字を土台にした受験英語を勉強していたので、英語の音が頭の中で流れず、視覚のみで文字を追っている。
2つ目は、日本語に訳したい、というよりは訳さずにはいられない、ということです。この学習で、速読力は音が土台になっている、英語は英語で理解する、という2点を学びました。
また先生からは、単語を一つ一つ端から追って読んでいくのではなく、
文全体をパッと見て目立つ単語と知っている単語で大よその内容を推測して理解する、とアドバイスがありました。

考えてみると日本語を読む時にはそうしているのに、英語だとそうできないのです。英語の音のインプットが圧倒的に足りなかったからです。


他にも私が克服しないといけない習慣がありました。それは細かいことにとらわれる事。
例えばinなのかatなのか?またはI guessなのかI supposeなのか?など、会話ではどちらを使っても意味は伝わるであろうのに、どちらが正しいかと考えて詰まってしまう。
頭の中で英作文しているからでした。正しい英作文をしてから、口からアウトプットする、という、テンポのいいコミュニケーションには到底ならない作業をしていました。

英語を自由に使う、というレベルに到達するには、まだまだ超えていかないといけない山がたくさんあったのです。
でも自分が日本の学校で経験してきた英語とイギリスで習っている英語の違いに気づくことがとても楽しくもありました。
日本の学校で習った英語の勉強の仕方の習慣は弊害になりましたが、覚えた知識はアウトプットさえできれば大いに役立っていました。
そして英語に対する意識の変化は、私をもっとオープンに明るくしていきました。それは英語が持っている言葉の気質もあるかもしれません。
英語を話している自分は、日本語を話している自分とは別の人格のような気がしました。英語学校のクラスには、年齢も国籍も宗教も違う様々な人がいました。まさにミニ地球です。
その異文化人同士が英語という共通語で話しをすると、文化や考えの違いは個性、そして皆が、何故かひとつの地球という国籍になったように感じていましたよ。素敵な体験です。
(次回に続く)